共感を暴走させたのは“言葉”6 2023/03/01 『世界の四大文明の一つ、メソポタミア文明があります。その遺跡で古代の戦争の証が見つかっています。「ウルのスタンダード」と呼ばれる工芸品です。描かれているのは、戦争の場面です。王様や兵士が戦車を従えて戦争に向かう様子が、克明に記録されています。言葉による共感の暴走というのは、定住と食糧生産をきっかけにして、こういった形でどんどん…しかも現在、言葉による情報交換はインターネットやSNSにあふれていて、それが人々を傷つけるようになっています。つまりソフトな武器によって、人々は戦争を始めたと言っても過言ではない。』 古代文明は紀元前8000年とも言われており、今から1万年前ということになりますよね。古代文明は定住と農耕でもあり、肥沃な土地の争奪が伺えます。さらにはその後の言葉について古代文字の発達もあり、記録も遺跡として残っています。 人類の歴史において、言葉による暴走が起きた時代でしょうか。現在では、SNS等での誹謗中傷、これも言葉の暴走です。相手を貶めることを意図した使い方は暴走どころか争いに繋がっています。しかもそのことで、人を傷つけることに繋がってしまう負の側面を残念に思います。さらにそのことは対面ではないことで起きることは、とても傷つく度合いも大きい。誤解を生じさせ修復が不可能な状況さえ作りだし、このことで人の命さえ奪われる時代です。人を傷つけても何も感じない、反省さえない。これはおかしな進化、使い方、暴走です。心を通わせる工夫をしたいですね。そして争いに発展することが対面でなく、噂話や心のゆがみによって起こることは取り返しがつかなくなります。思い込みにより争いに至る。一方的な思いや自分に都合のいい情報だけで判断すると修正が効きにくいものとなりますよね。
共感を暴走させたのは“言葉”5 2023/02/28 『自己犠牲の精神が発達すると、集団に対する強い帰属意識が生まれます。自分を犠牲にしても、集団の仲間に貢献しようとする。この集団に不利益をもたらそうとする外敵、動物であろうと同じ人間の仲間であろうと、それを敵と見なして排除しようとする。そういう意識が生まれたのではないでしょうか。自己犠牲の精神というのは、人間だけが持つ特異なアイデンティティーです。それが大きく膨れ上がって武器が発達し、大規模な戦争へと発展していったのではないでしょうか。』 集団の内側への共感力を高めることに繋がるものの、外に対しての敵意や排他、これも言葉の取得によるヒト社会に大きく影響をしてきています。意識というヒトの心の進化がもたらしたものでもあります。敵と見なすのも心、進化とともに負の側面は非常に悲しいものを得てしまったようにも感じます。言葉の暴走、ましてや意図的に使われるとほどこしようもありません。悲しい局面を迎えてしまいます。
共感を暴走させたのは“言葉”4 2023/02/27 『言葉の威力を増すことになったのは、1万年前に始まった農耕や牧畜という食糧生産です。食糧生産によって人間は土地に投資をし、その土地を守らなければならなくなりました。その土地に人々は定住し、食糧生産を始めて、食糧を蓄積できるようになると、さらに多くの人たちがその食糧によって養われ、人口規模が徐々に膨れ上がるようになりました。その結果、他の集団と土地を巡って、あるいは収穫物を巡って争う状況が生まれました。そのときに集団内部が結束して、自分たちの利益を守ろうという意識が生まれたわけです。つまり、共感力は集団の内に向かい、その共感力を元手にして、集団の外には、敵意という言葉によって、作り出された意識が向かうようになった。』 言葉の発達によって集団の共感力も高まることに繋がるものの、外に向けての敵意といったものを向けることにも繋がった。言葉の恐ろしさであり、言葉の取得によって暴走に繋がったと思えます。意識、心の進化は言葉の取得によって人間社会を大きく発展させたものの、負の側面もでてきたことになります。これは現代にも繋がっています。共鳴、共感によって共同体が形成されることになり、分かち合い、平等といったヒト集団の成り立ちから、外へ向けた敵意だけでなく、集団意識をコントロールし、ヒトの心も支配するようなこともでてきた気がします。
共感を暴走させたのは“言葉”3 2023/02/24 『一方で、言葉には集団の共感を暴走させてしまう、負の側面も出てきたんですね。例えば、同じ人間の仲間だけれども「あいつは豚のように卑しい」とか「あいつはオオカミのように陰険だ」と言う。本来、豚と人間は違いますよね。でも「豚のような」と言ったときに、人間の中に豚のイメージが重ね合わされて汚く見える。そういう力を持っているわけです。本当は敵ではない相手を敵視するような誘導の仕方が可能になったと思います。』 言葉の発展による負の側面。そこにはヒトの脳、心の中でのイメージや良心だけでなく、意図的な心をも持つように進化してきたことも想像できます。言葉によって共感を高めたり、反面、相手を敵視する心を言葉によって表すことが出来るように進化してきたことが伺えます。ヒトの心の進化ともいえるかと思います。 ところが最近の脳の研究によるとありえないようなウソをつき、そのウソがバレても平然としているヒトもいる。犯罪などで捕まっても反省の色を見せない。それなのに外見は魅力的で社交性も十分。面白くて一緒に居たいと思わせる人なのに、関わった人は皆騙されて、不幸になってしまう。共感性が低く、飢餓に苦しむ人などの悲惨な画像を見せても、感情を司る脳の部位が活性化しないそうです。そういった脳を持つ一方で、相手の目つきや表情から状況を把握する能力には長けているのだとか。相手の喜ぶことを行って巧みに心理を操ったり、逆に相手の弱みを見つけて揺さぶりをかけることが得意で、プレゼン能力は非常に高いそうです。しかし、経営管理やチームでの作業は苦手だというケースもあるようです。脳と心の関係については深いですね。
共感を暴走させたのは“言葉”2 2023/02/22 『それまでのコミュニケーションは、踊りとか対面とか「身体の同調」を伴っていた。その限界は、大体150人ぐらいだろうと言われているのです。でも、言葉というのはそれを超えて、情報によって人々を結束させ、共同体を超えてつながるような状況をもたらしました。それは人間の繁栄にとって、とても大きな貢献をしたのです。』 他の研究者からも対面や身近にコミュニケーションが取れる集団の数は150人と言われています。身体の同調を伴う人数はこの数が限界なのでしょう。それ以上になるとなんとなく顔は分かるが同調することは難しいと実感できますよね。そこに言葉を取得することによってさらに人と人の関係に広まりと繁栄に結びついてきたとの見解に同感できますね。 さらに現代では、情報網を使えば国を超えての大きな繋がりさえ可能です。しかしそこには身体の同調はなく、情報を得る上では危険も伴います。また、AIの発展でヒトは「自分に都合のよい情報が心地よく」、「人間は何が真実かを判断できない」とも言われます。情報によって左右されやすいということでしょうか。言葉に左右されてしまうことも考えないといけませんね。