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園からの発信

暴走をもたらした「共感」4

2023/02/14

『みなさんも1日の暮らしの中で、何度も他の人と対面していると思います。「なぜ対面するの?」と質問されたら、恐らく「話をしているからです」と答えると思う。でも、研究者はこう答えるのです。会話は声を出して意味を伝えあうコミュニケーションですよね。わざわざ対面しなくてもいいでしょう。後ろを向いてだって声は聞こえるわけだし、なぜ対面するのですか。それは「目」のせいなのです。類人猿の目は、白目がありません。人間の目は、白目があるのです。この白目があるおかげで、類人猿のように顔と顔を合わせるのではなくて、1~2m離れて対面すると、相手の目の動きが白目によって分かるのです。そうすると、その目の動きから相手の気持ちを察知することができるのです。

重要なことは、この能力は親からも学校からも教わったことがないということなのです。人間は生まれつき、白目の動きによって相手の気持ちを察するという能力を持っているのです。この白目は「共感力」を高めるために使われたと思います。その結果、高まった共感力を使って、分かち合いや平等といった人類独自の社会性を発展させていったと考えられるのです。』

 

ヒトが社会を作っていく段階での共感力、分かち合い、平等といった考え、この礎が人類における社会性であり、さらに社会性を発展させていったからこそ人類というものが続いてきた。700万年前の2足歩行で草原に出て、ヒトへの進化や生き延びる過程で共感力を高めた。白目を持っているのは人類だけですよね。察知する能力があってさらに相手の気持ちも分かり共鳴、共感となると感じています。また、目は口ほどにものを言うとも例えられます。目の表情によって好意的な感情を読みとったり、逆に怒りなども読み取れます。人社会において互いをいがみあってもよい社会は作れません。

暴走をもたらした「共感」3

2023/02/13

『もう一つ、分配行動の前にゴリラの場合は、食べている相手の顔をじっとのぞき込むのです。これを「のぞき込み行動」と言うのですけれど、対面コミュニケーションです。サルの場合は、相手の顔を見つめるというのは威嚇になってしまうから、弱いサルは強いサルにのぞき込まれたら視線を避けるのです。避けないと、挑戦したと受け取られて、攻撃されますから。でも、ゴリラは長く続く。対面しているのです。それはゴリラにとって、相手を見つめるという行為が威嚇ではないということを示しています。

サルと目を合わせないで下さい。高崎山でもそう飼育員さんに注意をされます。目を合わせるとどちらかに優劣をつけるために戦わなければなりません。攻撃されてしまいますよね。だから基本的に動物とは目を合わせないことで自分達を守っていました。ゴリラは違うんですよね。コミュニケーションが出来るんですね。我々ヒトに非常に近い存在が明らかですよね。

暴走をもたらした共感 2

2023/02/10

『ガボンという国で、ゴリラの分配行動を初めて発見したときです。フットボールぐらい大きなフルーツを、まずオスが手に取った。メスや子どもたちがやってきて「ちょうだい」をして…。それをオスがちぎって、群れの仲間に分け与えたのです。これはすごく興奮しましたね。初めてゴリラの分配行動を観察したわけですから。こういった分配行動が起こるということは、体の大きなものが食物を独占するのではない。つまり優劣をもとにして社会が作られているわけではなくて、さまざまな関係が分配行動を介して芽生えるということになります。そういう多様な社会関係を、類人猿は作ってきたのです。』

ゴリラの生活を見てヒトもさまざまな社会関係を作ってきたことが伺えますよね。

暴走をもたらした共感 1

2023/02/09

『そもそも共感というのは、群れの中で個々の人々が結びつきを高めて、助け合って力強い社会を作るために、不可欠なものだった。共感を高める行動というのは、実は人間だけではありません。ゴリラやチンパンジーという人間に近い霊長類にも、そのほう芽になるような行動が認められます。その代表的な例は、「食べ物を分配する」という行為なのです。例えばニホンザルは同じ霊長類でも、食べるときはみんなバラバラになるのです。それは、けんかを防ぐためです。食べ物の前で鉢合わせしてしまったら、強い個体が独占してしまう。弱い個体は、食べられなくなってしまう。でもゴリラやチンパンジーは、時折ですけれども、強い者が持っている食べ物に、体の小さいメスや子どもたちが寄ってたかって集まってきて、「ちょうだい」をするのです。そうすると、体の大きなゴリラやチンパンジーは、しぶしぶその食べ物を仲間に取らせてやるという行為が見られます。その結果、お互い向かい合って、一緒に食べるということが生まれます。これは、何かに似ていませんか?私たち人間が毎日のようにやっている「食事」という行為なのです。』

大分の高崎山でもニホンザルの同じような光景を目にしたのを覚えています。飼育員さんがリヤカーを勢いよく引っ張り餌をまく。サルは一斉に寄って来て、えさをほおばり、ばらばらに散らばり食べていました。皆が見える場所に飼育員がピーナッツを1つ杭の上におくとボスザルやってきてゆうゆうと口にほおばったことを思い出しました。格差社会、分配しない、そして共食はしない。ゴリラは分配するんですよねー。ヒトと同じ。分配、分かち合いによって人類は生き延びてきたことが分かります。争わない。

森林から草原へ 2

2023/02/08

『集団間の暴力が増加したのは、約1万年前です。このとき人類は、自ら食糧を生産することを始めました。農耕と牧畜です。そのころと暴力の増加は、どうも一致しているのです。それまで長い間、狩猟採集生活でした。そしてだんだん集団規模を大きくして、肉食獣に対抗できるようになって、いろんな環境に出ていきました。そういう中で農耕社会を始めて、自分たちで食物を作るということを始めた。食糧を作るためには、良好な土地を手に入れる必要があります。だから定住する必要があるのです。その結果、価値の高い土地や自分たちが得た収穫物を巡って、集団間が争うようになったと考えられるのです。

なぜ、それが戦争まで拡大してしまったのか。戦争とはもともと何の関係もなかった「共感」という力、それが暴発したのではないか。つまり、使い方を間違えたのではないか。』そう指摘されています。

共感して集まり社会を形成した生活、共感により集団を形成してきた。とも言えます。そして、定住によって争いごとが起こった。脳の発達とともにいろいろな思いを共有していたものが大きな集団同士で共感の爆発が起きてしまった。使い方を間違え争いとなった。現代にも通じているようです。

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