心と進化 3 2023/01/06 「高間氏は、なぜ心とは史的な産物なのかということをこのように説明しています。 史的な産物?と思われる人がいても、無理もないと言います。私たちは、心は個人個人のものであって、当然、人によって千差万別です。ところが、その一方で、心は親から子へと代々受け継がれてきたものでもあると言うのです。人間がはるか昔から現在まで命をつなぐことができたのには、さまざまな進化が必要で、その進化は「心」にも及んでいるという考えであると高間氏は言うのです。 そもそも心とは何だろうかと、改めて考えてみると、なかなかに難しいです。基本はもちろん、脳の働きです。しかし、私たちは、「人間らしい心」という言い方をごく自然と使っています。また、「あの人には心がない」とか、「心ある振る舞い」という表現に何の不自然さも感じません。私たちはどうやら、私たち自身の内面に心なるものがあり、それが日頃の行動を大きく左右している、あるいは生み出していると思っているようだと言うのです。 そこで、高間氏は、ここでは議論を割愛して、とりあえず「心とは、人の行為(行動や言葉など)を生み出しているモト」としています。人間がある言葉を発する、ある行動をする、ある考えを抱きます。高間氏は、そのモトにあるのが、心であるという定義にします。」 ヒトは多様である。ヒトの心も多様です。多様な考え方、捉え方、多様な人間で社会を形成しています。それは環境によって多様です。「史的な産物」どのような環境であったか。ヒトの心の多様も理解できます。まずこのことを押さえた上で、「心とは、ヒトの行為を生み出しているモト」。そう捉えると受け止め方の違い、ヒトとの関わりにおいてのヒントともなるのではと感じています。