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2023年 1月

本能と心 2

2023/01/11

つまり、心とは、本能や欲求を超えて、意志や感情、習慣、教育の成果も織り混ざった、私たちの意志決定の主体なのだと高間氏は言うのです。そして、その心の出来不出来を当然、評価の対象とします。意志が入っているだけに、私たちは心をかなり意識していて、コントロールしているという幻想をもっています。でも、実際には、心をつくりあげている要素には、本能や習慣も混じっているから、私たちは心の働きをすべて意識しているわけではないのです。自在にコントロールできるわけでもないのです。

子どもの世話をするという行為がまさにそうですが、ある人が特別にそうした行為に励む心を突然、生み出したわけではありません。次世代をきちんと育てられなければ、その生物は絶減してしまいます。だから、生き延びるためには、次世代を育てようとする心がはるか昔に生まれ、受け継がれてきたはずだと言うのです。それが、「心は歴史的な産物だ」という意味であると高間氏は考えているのです。

 

私たちは心をかなり意識していて、コントロールしているという幻想をもっています。でも、実際には、心をつくりあげている要素には、本能や習慣も混じっているから、私たちは心の働きをすべて意識しているわけではないのです。自在にコントロールできるわけでもない。

書籍

2023/01/10

エントランスホールの書籍を替えました。HP掲載に関わる本、子育てに関わる雑誌を置いています。ご興味ある保護者へ貸し出しもします。

本能と心

2023/01/10

「心とは、人の行為(行動や言葉など)を生み出しているモト」と定義をします。しかし、これは基本的には人間に限ったことです。人間から遠い動物では、事情が変わると言います。たとえば、鳥が飛び立つのを見たとき、私たちは「身の危険を感じたのか」とか「巣に帰るのか」というレベルの動機で納得します。決して「大空を飛びたかったんだろう」とは考えません。鳥の行動を支配しているのは、本能とか具体的な欲求と解釈しているわけです。特別、その動機を曖昧な心というものには求めません。

同じ論理で、親鳥が一生懸命、雛に餌を運ぶのを見ても、それは本能の命じる行動であり、愛情豊かな心のゆえとは思いません。当然、「やる気が出ない」とエサを運ぶのをさぼる親鳥の存在など、想像もしません。

これが人間に変わると、そうではないと言うのです。子どもの世話をする親の原動力が、単なる本能と割り切って考える人は圧倒的な少数派だろうと言うのです。子どもへの愛、つまり愛情あふれる心が、世話をする源だと感じている人も多いでしょう。人問らしい心があるから、人間らしい行動をしているという理屈です。あるいは、責務だと考える人もかなりいるでしょう。子どもをつくった以上、その子どもを育てるのは、親たる人間の責任であるという論理になります。当然、そうした人間にふさわしい行動ができないと、人間らしい心がない、人でなしということになるのです。

人に限った、人としての心がある。本能とは別の心。人の行為を生み出しているモト。本能や欲求を越えたものです。

心と進化 3

2023/01/06

「高間氏は、なぜ心とは史的な産物なのかということをこのように説明しています。

史的な産物?と思われる人がいても、無理もないと言います。私たちは、心は個人個人のものであって、当然、人によって千差万別です。ところが、その一方で、心は親から子へと代々受け継がれてきたものでもあると言うのです。人間がはるか昔から現在まで命をつなぐことができたのには、さまざまな進化が必要で、その進化は「心」にも及んでいるという考えであると高間氏は言うのです。

そもそも心とは何だろうかと、改めて考えてみると、なかなかに難しいです。基本はもちろん、脳の働きです。しかし、私たちは、「人間らしい心」という言い方をごく自然と使っています。また、「あの人には心がない」とか、「心ある振る舞い」という表現に何の不自然さも感じません。私たちはどうやら、私たち自身の内面に心なるものがあり、それが日頃の行動を大きく左右している、あるいは生み出していると思っているようだと言うのです。

そこで、高間氏は、ここでは議論を割愛して、とりあえず「心とは、人の行為(行動や言葉など)を生み出しているモト」としています。人間がある言葉を発する、ある行動をする、ある考えを抱きます。高間氏は、そのモトにあるのが、心であるという定義にします。」

 

ヒトは多様である。ヒトの心も多様です。多様な考え方、捉え方、多様な人間で社会を形成しています。それは環境によって多様です。「史的な産物」どのような環境であったか。ヒトの心の多様も理解できます。まずこのことを押さえた上で、「心とは、ヒトの行為を生み出しているモト」。そう捉えると受け止め方の違い、ヒトとの関わりにおいてのヒントともなるのではと感じています。

感激

2023/01/06

1/5に卒園児の小学6年生2名が遊びに来てくれました。二人で「保育園に行こう」と話しをして、何と近くのスーパーで買い物をして、子ども達にということでお菓子を持ってきてくれました。小学生なりに考えて「ボーロ」と「米菓子」、「チョコ菓子」を持ってきてくれました。何と感動的なことでしょう。自分達で考えて買って来たそうです。おそらくお正月にもらったお年玉を使ってくれたのだと思います。当時の担任、関わりのあった職員と久しぶりの再会にこのようなことが出来る子ども達に成長してくれたことに感激し涙が出てきました。また今度、卒園児に声をかけて一緒にくると言ってくれました。

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